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冬の旅行が多い。昨年十二月に訪れたアムステルダムも、ヴァカンスやリゾートという言葉とは無縁に、本格的な寒さを迎えていた。羽伸ばしやショッピングが目的で旅行をする方ではない。これといった目的もなく通
りをぶらつき、土地のおいしい食べ物や、街の空気のようなものを味わうだけである。だがどこを歩いていても、この街に住みたいか否かを自然と考えている。現在住んでいる東京は大好きな部分も大嫌いな部分もたくさんあり、今のところ天秤はつりあっているが、違う土地に住みたいという欲求は常に私につきまとっている。その欲求にアムステルダムは大いに拍車をかけた街である。
「オランダに行く」と言ったときの人々の反応は大きく二つに別れる。
一つは、返答に困るタイプ。チューリップ?風車?木靴?など、かろうじて単語を思い出し、どうしてオランダに行くのかという質問で終わるもの。もう一つは、訳知りの笑みを浮かべるタイプ。つまりドラッグ関係の反応である。アムステルダムのコーヒーショップ(街を歩けば日本のコンビニ以上に目につく)でマリファナやハッシシが簡単に手に入ることは、ドラッグに興味のある人々にとっては常識である。一九八五年、オランダ法務大臣は三〇グラム以下のマリファナの個人使用及び売買を認めた(その後三〇グラムから五グラムに減らすソフトドラッグ引き締め案が下院を通
過している)。奇才タランティーノ監督は『パルプフィクション』の脚本の大部分をアムステルダムで書いたというし、映画の冒頭部分でもジョン・トラボルタに素晴らしきアムスを語らせている。
私がオランダに行こうと思ったのは、直接的にはチューリップでも風車でも、またドラッグでもなかった。もちろんコーヒーショップには通
い、日本では犯罪となる行為もしたが、発つ前から強い欲求があったわけではない。(やり方が悪かったせいか、試した後もその気持ちに変化は起きなかった。)それよりも、マリファナやハッシシの所有・売買を認めているオランダという国の奥の深さ、ハッパのかけらを持っているだけで大罪人扱いされる国との視野の違いにとても惹かれたのである。現にオランダでは、マリファナ愛煙家は減り続け、若者のマリファナへの興味は薄れているという。これはヘロインやコカインなどのハードドラッグに手を出させぬ
ための政府の方策が功を奏したわけだが、このドラッグへの処し方ひとつをとっても、ただ頭ごなしに規制するだけの国とは根本的に異なる国の気質をみることができる。いったいオランダとはどんなところなのか、是非実際に街を歩いてその空気に触れてみたいと思った。
座席に余裕があり日本人もほとんどいないKLM機内で、大柄なおばさんスチュワーデスの快いサービスを受けた。オランダ人の平均身長はヨーロッパ一高く、スチュワーデスも例外ではない。乗客(オランダ人とは限らないが)もみな体が大きく、ひっきりなしに飲み食いしている。目が合うと自然な笑みを向けてくれ、視線はとても柔らかい。
私は、司馬遼太郎氏の『オランダ紀行』(朝日文芸文庫)とスクラップしてきた上野俊哉氏の『アムステルダム・ノート』(九五年、MacPower連載)に目を通
した。歴史的側面は『オランダ紀行』から、メディアや若い世代の動向など現在の生の面
白さは 『アムステルダム・ノート』から刺激を受けていた。私の途方もない無知のため理解には限度があったが、オランダについて知れば知るほど興味がわき興奮した。アムステルダムは歴史に埋没した街ではなく、歴史を昇華した先端都市の一つだった。気がつくと飛行機はスキポール空港に着陸していた。十二時間のフライトに苦痛を感じることもなかった。
アムステルダム滞在は一週間。中央駅(東京駅のモデルとなった赤煉瓦造り)から徒歩五分のこじんまりしたホテルを拠点とする。気分次第でハーグやベルギーのブリュッセルにも足をのばした。インターシティに乗って、国境は気軽に越えることができる。
ホテル五階の窓から外を見ると、向かいの建物から誰かが手を振っていた。バーの客らしい。この国の建物は窓が大きく、夜でもカーテンを引かないところが多い。一般
の家も同様で、丸見えでも平気で着替えをする。目が合えば微笑んでくれる。向かいのご機嫌な客にこちらも手を振り返した。その後もしばらく部屋のカーテンを開けておいたが、しつこくこちらを窺うようなことはもちろんなかった。
アムステルダム中央駅を中心にして扇状に五本の運河が走っている。海面より低い土地を干拓し国土を拡張していったその仕事に敬意を表し、まずは水上バスに乗って街を回った。整然とそびえた煉瓦色の切妻が目を楽しませた。この歴史的景観の中にスクウォット・ハウス(不法占拠された空き家)もあるのだと思うと、街並みがさらに味わい深く見えた。空き家は公共物であるとし、無断で住みつく人々をスクウォッターという。
ある建物の前に長い行列ができている。アンネ・フランクの家だった。彼女が『アンネの日記』を書いたのは、ナチ占領下のアムステルダムであり、アンネの一家をかくまい続けたことをオランダ人は誇りにしている。オランダが多民族に寛容で差別
観を持たないことは、「オランダ国籍を持てば、オランダ人である」という言葉や、亡命者や移民が多いことに現れており、街を歩けばさまざまな肌の色に出会うことで一目瞭然である。オランダ人は相手が外人だとわかるとすぐ英語に切り換え、それでも通
じないようなら嫌な顔ひとつせずに身振り手振りでどうにかコミュニケーションをとろうとしてくれる。また人に限らず標識や案内板もとても親切である。それらはシンプルで機能的でデザインにもセンスが光っている。つまり、この国は様々な異国人を受け入れるだけでなく、その後の生活がしやすい態勢も整えており、生活場としての街そのものが親切なのである。
アムステルダム市内の移動にはほとんどトラム(市電)を使ったが、かなりの割合で無賃乗車をした。トラムの車内にはスタンプマシンが設置され、回数券を差し込む仕組みになっているのだが、律儀に料金を払う者もいれば払わない者もいる。抜き打ち検査にぶつかれば当然多額の罰金を課されるが、監察官はめったに来るものではなく、また運転手から切符を買おうとしてもいらないと言われることがあるらしい。だが、私たちはそのめったにお目にかかれない監察官に遭遇した。その時はちょうどスタンプを押していたのだ が、なぜか監察官は私たちの回数券を調べる気配も見せなかった。このような「いい加減さ」「ゆるさ」に目くじらを立てる向きもあるだろうが、私の肌にはよく合う。今日はお金がないからタダで乗らせてもらうけど、懐具合がいいときはしっかり払うよ、と考えられる(事実か否かは別
にして)余裕を人々に残しておくことは実は大切なのではないか。
先の上野俊哉氏の言葉を借りるなら、アムステルダムは「ラディカルでクレイジーでジェントルな奴らでいっぱいの街」ということになる。まさにその通
りである。ここは成熟した大人の街でありながら、少しもくたびれていないし頑なでもない。日本では金儲けしか考えないインターネットにおいても、この街では商業主義に対抗する「デジタル・シティ」(アクセス・フリー)が市民に浸透し、新しい一つの都市として役立っている。コーヒーショップがそこここにあっても、自転車がいたるところに放置されていても(幼稚な駐輪場など存在しない)、街がすさんだり醜くなったりしてないのは本当に羨ましい。
他にも、海賊TV、美味しいニシンの酢漬け、婚姻が法的に認可されている同性愛者、日米とは一味も二味も異なるクールなCD−ROM、絵画を商品として流通
させたレンブラント、街を闊歩する犬たち等、アムステルダムの面白さは尽きないが紙数が尽きた。
今はよいアムステルダムにしか目が向いてないことは自分でもわかっている。だが、私にとって旅行に出るということは、これまでの物の見方や価値観を少しでも揺すぶってもらうことである。自分の思考にまだ「揺れる」柔軟性があることを知る喜びである。アムステルダム旅行は「適度に心地よい揺れ」に過ぎないのかもしれない。それでも私はまたあのラディカルな街に行くことになるだろう。できればそのまま居ついて、二冬か三冬過ごしてしまうほどクレイジーになってみたい。だが、そのとき私が空けた東京の家を、見ず知らずの外国人に快く提供できるだろうか。迷いなく頷けるジェントルさは私にはまだない。ラディカルでクレイジーでジェントルになるにはまだまだである。しかし、アムステルダムを知らなければ、こんなふうに考えることすらなかったのである。
(一九九六年『マインドパートナー』五月号
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