
遅ればせながら、ターシャ・テューダー婆さんに完全にまいってしまいました。一人の作家の本を続けて読んだのは本当に久しぶりです。
おかげで、気がつくと愛犬ドングリは恨めしそうな瞳でじっと見つめ、ターシャ本のカバーを囓り取ろうと(私が本当に気に入っている本にはヤキモチをやくのです)隙を窺い、このゲームだけはやらずにいられない『風来のシレン2』はまったくはかどりません。
しかし、読めば読むほどターシャ・テューダーの、強靱な身体と精神(これは切り離せないものですが)、一筋縄ではいかぬ
人柄や知性に魅了されます。 『コーギビルの村まつり』も、著者自ら一番気に入っている絵本と言うだけあって、ターシャ・テューダーの一筋縄ではいかないところが作品にも投影されていて、凡庸な絵本にはない面
白さや残酷さを味わうことができます。
この本でバーモントの土地を買ったというほど売れたのも、十分うなずけます。
「大人も読んで楽しめる絵本」。人や絵本そのものをバカにしたこんな言い方をよく耳にし、ついついこの手の惹句につられて読みもするのですが、結局わかったようなわからないような哲学風のものやら、人を煙にまいて悦に入っているようなものが多く、ピンとくる作品にはほとんど出会えずにいました。
ところが、『コーギビルの村まつり』は、子供向けだとか大人用だとか、絵本であるとかないとか、そんなちまちました分類を吹き飛ばし、とにかく面 白くて、丁寧に読むほどにいい味が出て、その絵をいつまでもながめていたい作品なのです。子どもに読ませるのはもったいないので、絵本とはわからないような地味で品のある装幀にしたらよいと思うほどです。
しかし、こんないい作品を描きながら、ターシャ・テューダーは言います。
「わたしは商業美術家です。これまでさし絵を描いてきたのは生計をたてるため、食べていくため、そしてもっと球根を買うためです!」
人から創造性を発揮できていいと言われたことに対するターシャの言葉ですが、このようなある種の覚悟は、自分が思い描いた通
りの生活を実現するためには必要なものです。これは職業というものが自分の中でしっかり位
置づけされた、地に足の着いた女性であることの証明で、単なる夢見る少女の精神とはまったく無縁のものです。
「職業としての女流作家」については、最近読んだインタヴューではとても面
白かった吉本ばなな氏の「短篇小説のよろこび」(『文學界』十一月号)の中でも触れられていて、作家(美術であれ文学であれ)という職業をきちんと考えてゆく上で、たいへん励みになります。
ふと、思ったのですが、吉本ばなな氏はターシャ・テューダーのようなすごい婆さんになるのかもしれません。もちろん、精神的な面
でということですが。
自分の望む人生を明確に思い描き、そのための的確で地道な方法を選択する知性を持ち、おそるべき持久力と意志でそれを実現する。
そして、人に伝えたいメッセージなど何もない。
もう、かっこよすぎて、しばらくターシャ本に浮かされていることでしょう。こんな思春期のような恥ずかしい精神状態から一刻も早く抜け出て、しっかり職業作家たるべく努力せねばと自戒しつつも。