『ロダンのココロ』 

 内田かずひろ著(朝日新聞社・朝日新聞連載中)

 恥ずかしながら犬バカを自認していますので、“犬本”には目がありません。漫画でもエッセイでも小説でも写 真集でも、犬がチラとでも登場すればパブロフの犬以上の犬らしさを発揮して涎ならぬ 触手を伸ばします。

 とはいうものの、質・量ともに豊富な犬本のなかで、自分の好みと偏見に合い、琴線に触れるものとなると限られてきます。見境なく犬本に飛びついていた私も、“犬本ハンター道”四年目ともなればその鑑定法も身についてきて、表紙や初めの数ページをパラパラと嗅いだだけで、自分が欲しい本か否かを判断できるようになりました。

 私がかなり頼りにしている鑑定法として、犬を擬人化しているものはまず避ける、というのがあります。犬の気持ちや思考が人間のそれと同じように扱われ、しかも犬が心内語を喋る安易な描き方は、犬の魅力や犬を飼う素晴らしさを大いに損なうものでいただけません。ちまたに溢れかえる犬本の多くはこのタイプに属しますので、密かに自負するこの便利な鑑定法によって、好みの犬本をじっくり吟味できることになります。

 ところが、簡便な方法に盲点はつきもので、『ロダンのココロ』について私はミスをおかしていました。この作品も単に犬を擬人化したほのぼの漫画だと思っていたのですが(と言いつつも毎回読んでいたので、なぜ読んでしまうのかきちんと考えるべきでした)、これが大きな間違いでした。それに気づかせてくれたのが、升野浩一氏の漫画評です(『ことし読む本いち押しガイド2000』 中の“「活字好き」にすすめる漫画12冊”)。桝野氏の漫画評は面白くて鋭く、何よりその漫画を読みたい気にさせるもので、朝日新聞紙上で漫画評を読んだときから信頼を寄せています。

 桝野氏は「内田かずひろの基本にあるのはコミュニケーション不全だ。互いに理解し合えない者同士が、一見なんの問題もなく仲良くしていることの可笑しさ、かなしさ。でもそれが人生だと、ほほえんでいるような凄みが常にある。」と見事に喝破していました。私にとって犬と暮らす素晴らしさの一つは、このコミュニケーション不全にあるので、まさに目から鱗でした。

 鱗の落ちた目で『ロダンのココロ』を、さらに『犬々学々丼』(ぶんか社)を読み直すに及んで、内田かずひろ氏の“凄み”をまた新たに知ることになりました。『犬々学々丼』では、主人公(著者)が犬の姿で登場します(他の登場人物も牛、河馬、鳥などすべて動物です)。これは擬人化ならぬ 擬犬化で、犬と化した人間はさらに犬的な視点を得て、コミュニケーション不全はいっそう深まっているのです。まったくもって、内田かずひろ氏はあなどれません。

〈教訓〉簡便な方法は定期的に見直すこと(自戒)。


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