
森村泰昌氏の文章を読んでいつも思うことは、芸術家がこんなにも明晰でわかりやすい言葉をもって、芸術のことを語りえてよいのだろうか、という驚きと戸惑いです。
芸術のことだけに限らず、森村氏の書くものには『顔』や『ペニスティック・シアター』といった傑作小説、幾多のスリリングな批評・エッセイなどがあり、特に最近の文章の端正な出で立ちは、名人芸に近づいているといえます。
森村氏の明晰さはおそらく、前例の見あたらない領域にいつも踏み込んで(森村氏の言葉を拝借すれば『踏みはずして』)ゆく者が、他人や自分自身を納得させ、次へと進み続けるために獲得せざるをえない明晰さなのだと思います。
もちろん、この文章ゆえに私は森村氏の書くものを敬愛し、遅ればせながら美術に興味を持ち、はじめて美術を面
白いと感じ、さらに、いまこの現代の日本で作家が作品を発表することの意味までをも考えるに至ります。
森村氏の書くものは、美術に携わる人が満足するレクチュアであっても、軽いタッチのコラムであっても、それまで美術にあまり関心のなかった人を引き込むチカラがあります。チカラといっても決して強引なものではなく、かといって慇懃さや調子のよさとも無縁です。読者は笑ったりドキリとしたりしながら一文ごとに惹きつけられ、いつの間にかすっかり氏のリズムに乗せてられているといった具合です。
この貴重な文体と雰囲気は、森村氏の人柄や、すべての作品に対する、ふとした手抜きや妥協のない誠実さのあらわれです。その一文一文は、森村氏の思考回路を丁寧に経た判断の積み重ねであり、読む者は氏の考え方・ものの見方を一緒に辿っているうちに、自分も以前から同じ事を考えていたような快い錯覚に捕らわれます。そして、気がつくと次から次へ読み進めずにはいられない魔力にかかっていて、最後の一文まで、いや読了後もその魔力はとけることがないかもしれません。
この『空想主義的芸術家宣言』も、森村氏の他の著作同様、どのページを開いてもすぐにその文章に誘われ、モリムラワールドを十分に楽しむことができます。
もし他の作品との違いを挙げるとするなら、この本は美術作品を作る者の切実さに満ちているということです。それは森村氏が作品制作にあたって自ら発した問いに答えるというかたちを、本書がとっているからでもありますが、後半のちょっとした歯切れの悪さや繰り返しは、従来の美術を踏みはずすための拠り所を見極め、自分に対して懸命に理路整然とした答えを与えようとしているかに見えます。
しかし、作品制作の根本に触れる切実な文章も、いたたまれない気分にさせるものではありません。あくまでも素をさらけ出すことなく、たたずまいの美しさを保っているので、森村氏の思考の流れに従い、安心して読み進むことが出来ます。
とりわけ、「やってみなくてもわかる」能力の重要性は、私も日頃感じていたことなので(このように思わせるところが氏の文章の魔力です)、とても共感しました。「絵に描いた餅」ゆえに芸術はすばらしいものだ、という言葉にこめられた、芸術を仕事にする人の自覚と誇りは深く心に響きます。
今回、内容の紹介は出来ませんでした。どこをどう紹介しても森村氏の文章の面白さや凄さを損なってしまう気がしたからです。そんなことでよく書評など出来たものだと言われるかもしれませんが、ぜひともこの素晴らしい『絵に描いた餅』に触れて、それぞれの空想の世界を広げることをおすすめします。
真剣で誠実な空想力を身につけることが、本書を読んでほんとうに感銘を受けたことを示す一つの方法であり、後はこの私の文章もきちんとした「絵に描いた餅」になっていることを願うばかりです。