
以前にも、『本の旅人』連載中の漫画エッセイとしてここで取り上げましたが、一冊の本として出された『グーグーだって猫である』を読み、大きく感想が変わってしまったので、ふたたび書くことにしました。もちろん、ものすごく面 白い本であることは変わりようがありませんが。
それにしても私はうかつでした。この名作が『本の旅人』の前に、『ヤングロゼ』で連載されていたことを、まったく知りませんでした。申し訳ありません。誰に何に謝っているんだかわかりませんが、ほんとうにそんなまずい気持ちです。
この本の前半は『ヤングロゼ』連載分で、サバ(グーグーの前の愛猫)の話、それもサバの死の話から始まり、随所にサバが登場します。
グーグーがやって来てからも、ついついサバのことを思い出して比べてしまいます。グーグーが泣いても、ウンチをしても、歯が生えてきても、いちいちサバの時は……、と記憶が戻り、気がつくと「サバ」と呼んでいたりします。我が家にも犬がいるのでまったく人ごとではなく、面
白い話であるのに、いや面白い話だからこそ、涙なくしては読めません。
そして、この前半を読んだ後に、『本の旅人』連載中の後半部を読むと、ただ楽しく騒がしい猫との生活だと感じられたものが、微妙な哀しさを基調としたものに変わります。
大島家に猫が増えてゆくこともあって、サバが登場することはめったになくなりますが、サバの死に対する氏の自責とかなしみが、いつも頭と心のどこかにあります。ケガをした野良猫を見過ごせないとき。少しでも猫たちの様子がおかしいと病院にすっとんで行くとき。また猫たちのちょっとした仕草に一喜一憂し、じゃれ合ったりするとき。氏の行動の一つ一つに、サバの分の愛情もそそがれています。
一人で勝手に哀しみにひたって涙してアホか、と言われそうで、またそんな読まれ方は著者も本望ではないと思いますが、一度でも動物と生活する素晴らしさを知った人ならば、やはり似たような感想を持つでしょう。
動物と暮らす人間の普段の気持ちは、本書第16話の最後(P69)の詞 (願い)がとてもよく表しています。引用はあえてしません。