犬日記2001 その8


某月某日 

 別宅暮らし8日目

  家の中に、突然、髪の長い人が現れた。
  びっくりして、吠え立てた。
 「こら」
  聞いたことのある声がした。
  あわてて髪が束ねられ、顔がちゃんと見えた。
  婆だった。
 「髪を染めるのよ」
  いつも引っ詰めてある婆の髪が、下ろされて広がっているのだった。
 「ドングリちゃんも、紫色にする?」
  ・ ・・。
  頭が大きな人は恐い。
  この前も、雨の日にビニール袋を被っているおばさんがいて、
  ものすごく吠えて叱られたのだった。

 

 

某月某日 

 別宅暮らし9日目

  台風がいよいよ近づいてきた。
  きょうも、強い雨が降ったり止んだり、風も出てきた。

  でも、朝は土手まで、散歩に行った。
  いつもいる散歩の人や犬は、やっぱりいた。
  土手の上にテレビの人たちがいた。
  白く強いライトが光り、女の人が大きな声で喋っていた。
  すれ違った散歩オヤジが、テレビ朝日、と嬉しそうに教えた。

  毎朝の散歩コースを、きちんと走り込んだ。
  が、あと少し、というところでいきなりのスコール。
  逃げる間もなく、どじょう犬になった。
  帰ってきてテレビを見ると、
  さっき土手の上にいた女の人が、同じように大きな声で喋っていた。

 

 

某月某日 

 別宅暮らし9日目

  婆とふたりで留守番をした。
  婆はものすごく嬉しそうだ。
  おやつもいっぱいくれそうだ。
  婆はニコニコと、こっちを見てばかりいる。
  そのうち呪文をかけ始めた。
 「うちの子になっちゃいなさい。ねえ、いい子だねえ、ドングリちゃん。
  うちの子になっちゃいなさい。なっちゃいなさい…」
  眠くなった。

 

某月某日 

 別宅暮らし10日目

  台風がすぐそこにいる。
  台風15号、鎌倉付近に上陸。
  テレビはまた、ずっと台風情報。
  大雨洪水暴風波浪警報。
  それでも、朝ほんの少しのあいだ、雨も風も止んだ。

  そのすきに、散歩に飛び出した。
  大きな犬達が、あちこちから出てきた。
  よそ見をしていてウンコをふんだ。
  でも、かまっている暇はない。またすぐに大粒の雨が落ちてくる。
  お腹はドロドロだけど、ぴょいぴょい走った。
  けっこうたっぷり走り込めた。
  家に着いた途端、どしゃ降りになった。
  「晴れ犬」の面目躍如。

 

 

某月某日 

 別宅暮らし11日目

  台風が過ぎ去った。
  青空、爽やか。
  朝、土手に散歩に行くと、いつも走る道がなかった。
  川岸が水に沈んでいた。
  野球場もサッカーゴールもなくなっていた。水鳥が泳いでいた。
  川の流れが大きく、速くなっていた。

  土手の斜面に、テントやトタンの家が移動していた。
  刈り上げ、はち巻きのオヤジが、忙しそうに片付けをしていた。
  そばで、ニワトリ3羽と猫一匹が騒いでいた。
  オヤジが気づいて、こっちを見た。とても楽しそうだった。
  何日か前に、自転車ですれ違ったオヤジだった。
  やっぱり、ずっとニコニコしながら見ていた。
  吠えなかった。

  帰って来て、テレビをつけると、誰も台風のことはすっかり忘れていた。
  大雨洪水暴風波浪、台風一過。

  米国同時多発テロ事件。

 

 

某月某日

 10日ぶりに、我が家に帰ってきた。
  家に入って、まずすることはマウント。
  標的はアヒル。まるまる太った、大きなアヒルが一番よい。
  どんなにくたびれていても、マウントだけは欠かさない。
  マウント。それからシッコ、おやつ。
  これでようやく落ち着く。

  ホッとして、自分のにおいのしみ込んだ枕で、眠りにつく。
  マイ枕は、ちょっとかための小さな豚。
  これでやっと、枕犬はぐっすり眠って、夢を見る。

 

某月某日 

 我が家の生活に戻った。
  超早寝早起きの爺婆リズムから、
  遅寝早起きの不規則リズムの生活に戻って、少しばかり時差ボケだ。

  北欧から帰ってきた犬主は、完全に時差ボケだ。
  犬主は変な時間に寝ては、変な時間に起きてきて、
  トナカイの話ばかりしている。

  おみやげもトナカイのぬいぐるみだった。
  まず、目玉を狙った。新しいぬいぐるみの目玉取りは楽しい。
  目玉を取ると、やっと自分のものになった気がする。
  ウチにあるぬいぐるみは、ぜんぶ目なしだ。
  でも、このトナカイの目玉は手強かった。
  なかなか取れないのでマウントした。

 

某月某日 

 お取り寄せが、また届き始めた。
  ぶどう、かぼちゃ、じゃがいも、とうもろこし。

  ちょっとしたアクシデントで、とうもろこしが大量に来た。
  毎食、毎食、テーブルの上は、茹でとうもろこしの匂いがぷんぷんだ。

  おいしそうだ。
  うるさくして、かけらをもらった。
  甘くて、おいしい。
  もっとさわいで、もう少しもらった。
  おいしいぞ。
  テーブルに手をかけて、首をのばしたら怒られた。
  でも、またもらった。

  次の日、粒とうもろこしは、ウンコにそのまま出てきた。

 

 

某月某日 

 向こうから、ミニチュアダックスが2匹やって来た。
  黒いのと茶色いの。エプロンをつけたおねーさんが連れている。
  おねーさんは遠くからこっちに気づいて、ニコニコしながらやって来た。

  「あらあ、忘れちゃったの」
  いつものように逃げようとしたら、おねーさんが悲しそうな声を出した。
  「だいじょうぶだいじょうぶ」
  ウチの人がめずらしく立ち止まって、おねーさんや犬達と話をし始めた。

  茶色い奴が側に寄って来て、鼻先をつき出した。
  どうしようか迷ったけど、おそるおそる鼻をくっつけてみた。
  思ったほど嫌じゃなかった。変なにおいじゃなかった。
  ちょっとの間、フンフン嗅ぎ合った。
  自分でも、なぜそんなことをする気になったのか不思議だった。
  ふだんなら、知らない奴とはぜったいにあいさつなんかしない。

  「なんか、顔が似てますね」
  「何歳ですか」
  「4歳半です」
  「兄弟かもしれないですね。
  店の方にも、いまダックスが2匹いるので遊びに来てくださいね」

  でもやっぱり犬嫌いの犬は、早々に逃げ出した。

 

 

某月某日 

 毎日パン屋へ行く。
  いつも同じ「焼きたてのパン」屋へ、焼きたてのパンを買いに行く。
  夕方は、かならずおじさんが店番をしている。
  眠そうに新聞とか古本を開いている。
  おじさんは行くたびにおまけをしてくれる。
  はじめは余り物が多かったけど、この頃は好きそうなパンを入れてくれる。 店の奥から、わざわざ出してきてくれることもある。
  泊まりで出かけたり、雨がたくさん降ってパン屋に行けないと、
  ふっとおじさんを思い出す。

 10日ぶりにパン屋へ行った。
  おじさんは同じように店番をしていた。
  こんにちは、といつもとかわらずあいさつをしただけだったけど、
  その日はたくさんおまけのパンが入っていた。
  明日から、また毎日「焼きたてのパン」屋へ行く。

 

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