犬日記2000 冬 その1


12月某日 

 街に急におじさんが増えた。

 早朝、道ばたで、コートを着たおじさんがゲロを吹き出していた。
 出したものはそのままだ。犬はそんなことはしない。もったいない。

 よく会うビーグルが、いつもはおばさんを連れているのに、
 今朝はおじさんを引っ張っていた。
 おじさんは、楽しそうにおはようと言った。

 毎朝ウォーキングをしているおばさんが、おじさんと一緒だった。
 おばさんはしきりに何かを喋っていた。おじさんは黙って聞いていた。

 夕方の散歩も、おじさんを連れている犬が多かった。
 一緒に歩く人がかわると、同じ犬でもなんとなく様子が違って見える。
 みんないつもより偉そうに歩いている。

 池のまわりにも、おじさんがいっぱいだ。
 釣りをしている人、見てる人。歩いている人、走っている人、立ってる人。  のったら走る自転車を追い越したら、
 ジャンパーのおじさんからぷんとお酒のにおいがした。

 帰り道、いつものように「焼きたてのパン屋」に寄った。
 おじさんが、「よいお年を」と言って、
 今日はたくさんおまけをしてくれた。

 

 

12月某日 

  おやつを貰える場合。

  一、決められた場所で、きちんとうんこやおしっこをしたとき。
    おもらしなど、もうすることはないけれど、
    こどもの頃の習慣がずっと続いている。

  一、ごはんをちゃんと全部食べたとき。
    こどもの頃、ドッグフードを食べなくなったときがあった。
    無理してどうにか食べると、おやつが貰えた。
    今は何でも一瞬で平らげるけれど、
    おやつを貰う習慣はそのまま残っている。

  一、頼まれた時間に、主人を起こしたとき。
    朝の目覚まし犬である。
    でも、主人が寝坊をせずに起きても、
    自分が起こした気になっておやつを貰う。

  一、人が訪ねてきても、吠えなかったとき。
    かんたん、かんたん。 たまに、どうしようもなく
    嫌な感じがして吠えてしまうことがあるけれど。

  一、夕方の散歩から帰ったとき。
    みっちり走り込んだ後の、
    「缶詰肉のヨーグルトがけ」はたまらなく旨い。

 一、主人がお風呂から上がったとき。
   
冷凍庫を開けたついでに、氷をひとかけら貰う。
   コリコリコリかみ砕く。それほど旨くない。

 等々。

 これだけじゃぜんぜん足りない。
 もっともっとおやつが欲しい。
 冷たくて甘い、アレが欲しい。
 そう、冷たくて甘くてミルク味たっぷりの、おいしいアレだ。
 だから、今日も「アイスくれ」作戦を開始する。
 冷凍庫が開かれるまで、なにがなんでも目の前に座り込んで、
 瞳を見つめ続ける。

 

 

12月某日 

 おやつが欲しい。
 甘くておいしいおやつがたくさん欲しい。
 欲しくて欲しくてたまらない。

 ついこの前まで、膀胱炎にかかったせいでおやつはほとんど貰えなかった。  膀胱炎といっても、どこも痛くもなんともないのだが、
 おしっこに結晶が混じり、pH値が上がってしまったので、
 食事療法をすることになったのだ。

 先生の話によると、細菌感染が原因で、
 これといった予防法はなく、 膀胱炎になってしまったら、
 薬をのんだり食事制限をして治すしかないらしい。

 しばらくの間、病院で貰うごはんだけの生活が続いた。
 でも、先生が言うほど不味くはなかった。
 ゴムみたいな肉の缶詰をはじめに食べたが、
 缶詰がものめずらしくて、毎回ぺろりと平らげた。

 症状が落ち着いてからは、ジューシーな缶 詰を貰えるようになった。
 これはけっこう肉らしい肉で、おいしくてがつがつ食べた。
 病院のごはんを食べないようでしたら、
 という先生の心配はまったく無用だった。

 しかし。
 おしっこの調子がいいので、ほんの少しずつおやつを貰えるようになった。
 パンのかけらや、スプーンについたアイスなどだ。
 そうしたら、忘れかけていたおいしいおやつの記憶がみるみる蘇り、
 怒濤の欲求となって押し寄せてきた。

 おやつが欲しい。おやつが欲しい。
 いつもいつもおやつが欲しい。
 たくさん貰うことにはまだ成功していないけれど、
 ちょくちょく貰う方法は考えて、今のところけっこううまくいっている。

 

12月某日 

 土手だ。土手だ。

 また大好きな車に乗って、大好きな土手に向かう。
 橋にさしかかると土手が見えてきて、
 薄く開けた窓から草と土と水の匂いが流れ込んできた。

 早く車から降りたくて、体がしぜんと飛び跳ねる。
 キュッキュ、キュッキュ声が出てしまう。
 早く。早く。

 降りたらまず一番におしっこだ。
 ちょっと来ない間に、草はすっかり短くかさかさになっていた。
 でも、短い足で走り回るにはちょうどいい。
 寒い土手は犬も人も少なくて、あばれ放題だ。

 家の中ではストーブの前で猫のように丸くなっていても、
 草の上に一歩踏み出せば、芝に降りた霜も、川縁の冷たい風も、
 いっぺんで嬉しくて楽しくて仕方なくなる。

 リードを外してもらい、全身バネになって斜面 を駈け回る。
 短い足をめいっぱい伸ばして、細い溝や小さな石を飛び越える。

 夢中になって走っていたら、子供用の広場に入り込んでいた。
 いきなり、象やカバやきりんやパンダが目の前に迫っていた。
 その、石でできた小さな動物たちに向かって思いきり吠えた。
 わけもわからず吠えるだけ吠えて、大急ぎで広場から逃げて来た。
 すごくびっくりした。
 でも、長い長い土手の上を走っているうちに、
 そんな動物たちのことも忘れてしまった。

 

back next

 

2000年目次