犬日記2000 秋 その1


10月某日 

 土手でたっぷり遊んで、いい気分で帰ってきたら、なんだか耳が変だった。  片方の耳の中がすごくむずむずする。
 小さい虫が耳のすぐ近くにずっとまとわりついているみたいだ。
 頭を振っても振っても、耳のむずむずは取れない。

 虫から逃げて、トイレの中にずっと隠れていた。
 虫はいなくなったけれど、耳はむずむずと、嫌な感じのままだった。

 便器の下でしばらくうずくまっていたら、みんなが代わる代わる見に来た。
 部屋に戻るとまた虫がくっついてきそうで、トイレから出なかった。
 
部屋でおいしいものを食べている音がした。
 ボールの転がる音もした。でも、それどころじゃなかった。

 夜になったら、もう片方の耳もむずむずしてきた。
 べとべとしたものが垂れてきて、
 耳のまわりにこびりついてガバガバになった。  
 
でも、夕飯はぺろりと平らげた。ひどくお腹が空いていた。
 食後の一暴れはせずに、すぐに眠った。
 眠ったと思うと、耳の中を覗かれたり、
 においを嗅がれたりして落ち着かなかった。
 
夜中、何回も目が覚めて、
 頭がすっとぶほど振ってみたがどうにもならなかった。

 次の日、朝早くに先生のところに行った。
 「ああ、接触性のなんかだね」
 先生は一言そう言って、
 細長い道具で耳の中をのぞいて、軟膏をぬって、診療は終わった。

 走って家に帰った。
 嘘のように耳のむずむずがなくなった。
 じくじくしていたところがあっというまにかさぶたになった。

 それからは、耳の中を触られてもぜんぜん平気になった。
 そして、すごく小さな虫でもすっとんで逃げるようになった。

 

 

 

10月某日 

 土手はどこまでもなくならない。

 まっすぐ思いきり走っても、どこにも着かない。
 パン屋、猫のたまり場、公園、踏切、吠えかかってくるテリアの庭。
 いくら行っても見えてこない。
 
右に行っても左に行っても、後ろに戻っても、
 首が引っ張られて苦しくなることはない。

 斜面を上がり、ウサギになって駆け下りる。
 滑ってもこけても、何度でも駆け下りる。  
 足が短いことを忘れて、うっかり背の高い草にはまってしまった。
 頭のずっと上まで草が茂っていたので、そのままじっとしていた。

 足の裏やお腹に、湿った落ち葉や花びらがついて取れないときにも、
 その場に黙って座り込む。動かずに見つめるだけで合図する。
 すると助けの手が差し伸べられる。暴れたり騒いだりはしない。
 黙って微動だにせず助けを待つ。

 でも、だいぶ遠くまで走ってきていたので、なかなか助けがやって来ない。
 ようやく抱き上げられたとき、尻尾がバンバンバンバン動いた。
 それからは、ひとりであまり先に行かないことにした。
 後ろを振り返り振り返り、来るのが遅いときは何度でも戻って迎えに行く。

 そのうち好き勝手に走り回るのも気が済んで、また首にリードをつけた。   なぜかちょっとほっとした。

 

 

10月某日 

 土手だ。土手だ。
 土手はアイスと同じくらい好きだ。

 初めて来たときのことは忘れたけれど、
 リードを外してもらったときの感じは身体にしっかり残っている。
 それまでは外に出るのがあまり好きじゃなかった。
 でも、一瞬にして何かが起こって、気がついたらもう身体が飛んでいた。

 いちめんの草むらをどこまでも飛び越える。
 足が短いから、ちょっとした草でもいちいち飛び跳ねる。
 少しぐらい乱暴に坂を駆け下りても全然大丈夫だ。
 アスファルトの硬い道とはぜんぜん違う。匂いもぜんぜん違う。

 ひっくり返って芝に身体をこすりつけた。
 すごくこすりつけたい匂いがした。
 チクチクしたものが身体にたくさんついたけど、
 走りながらふるい落とした。
 ウンコの出も、爽快さがまるで違った。
 柔らかい土の上でするとなぜかとても気持ちよかった。

 夢中で走ったり、匂いをかいだりしていたら、
 すぐそこに大きな犬が来ていた。
 むこうも何もつけていなくて、好き勝手に飛び跳ねていた。
 もちろん大慌てで逃げた。
 どこまで逃げても土手はなくならなかった。

 

 

9月某日 

 一ヶ月ぶりに、車で土手に行った。
 車も土手も大好きだ。
 車に乗ると気持ちが大きくなる。犬を見かけると必ず吠える。
  強そうな大型犬や、猫に向かっても吠える。この前は雀にも吠えた。
 普段出したこともないほど大きな声で、
 姿が見えなくなるまで何回も吠える。 相手はぜったい追って来ない。

 車に乗った最初の一、二回は、気持ちが悪くなって吐いた。
 でもすぐに慣れて、今では車の中でもやりたい放題だ。
 まずは、いたるところを点検。
 ダッシュボードの上、ドアの内側、座席の下、小物置き……、
 車には鼻を突っ込まなければならないポケットがたくさんある。
 後ろの座席もあるし、荷台にも何かおもしろそうなものがある。

 点検に疲れた頃、あの匂いが漂ってくる。土手の草の匂いだ。
 窓の隙間にめいっぱい鼻を押しつける。
 土手だ。土手だ。

 

 

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